(発行日順)
「陶町」の歴史について紹介するコーナー。
陶公民館職員K氏による陶町歴史エッセイです。文章左の画像をクリックすると記事詳細を確認できます。
|
第8号 (2015年11月) 第8号は続・戦国時代の陶の統治者に関するお話です。 猿爪の統治者・遠山経景は、明智遠山氏の庇護を受け三河道の警護の職に就きました。その後明知城をめぐる戦いを経て猿爪と吉良見を賜り統治者になりました。 その頃の陶の石高はお隣の山岡町と比較すると小さな小さな村でした。 “飯高観音”で知られる萬勝寺近郊が恵南地方の農業の中心だったのでしょうか…。 |
|
第6号 (2015年9月) 第6号は戦国時代に突入です。 1467年応仁の乱を皮切りに戦国乱世となります。 このころは、猿爪と水上・大川が領主が異なったため、今のように一つの町内の地区ではありませんでした。 猿爪は明智遠山領として、水上・大川は小里領として多くの方が傷つけあいました。今ではとても考えられないことです。なぜこのような戦いになってしまったのか、今回の第6号で紹介しています。 |
|
第4号 (2015年7月) 第4号は古代の陶町です。 農耕技術が大陸から伝わった弥生時代、恵那から山岡に、そして陶にも農耕技術は伝わりました。 奈良・平安時代になると東濃地方は恵奈六郷と土岐六郷の二つの郡がありました。 陶は恵奈郡の淡気郷(たむけごう)に属します。 この「淡気郷」は陶中学校の校歌に歌われています。 |
|
第2号・第3号 (2015年6月) 今回は地名の由来です。『陶』の由来から『猿爪』『水上』『大川』へと続きます(2回と3回の合併号)。 『陶』という地名は誰が名付けたのか、普通では読めない『猿爪(ましづめ)』はなぜ“ましづめ”なのか?さて、皆さん、ご存じですか? また、インターネットで『陶小学校』と検索すると実は日本に4校あることご存じですか? これに関しての記事もありますので是非ご覧ください。 |
|
第1号 (2015年3月) 私たちの故郷「陶」の歴史についてのエッセイが始まりました。 初回は「人の足跡・・・縄文時代」です。 舞台は陶町猿爪地区梨ケ根の“丁奈平”。 ここで昭和35年、中学生によって縄文時代の遺物が発見されました。縄文時代からこの地に人が住んでいたということ?はてさて、陶町にどんな歴史があるのでしょうか。 詳しくは左の画像をクリックしてみてください。 |